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ギリシア歴史

悲しい悲しいお話。でも本当は奥が深いんです。

古代ギリシア時代
およそ紀元前2000年ごろに、この言語を用いる民族がギリシアに入り、その後ギリシアを中心に発展したためギリシア語と呼ばれる。ギリシアには、何波にもわかれて民族が侵入したため(アカイア人、ドリス人など)、そもそもいくつかの方言が存在した。トゥキュディデスの『戦史』(巻三 112)には、アテナイ側が、スパルタ側のドリス方言に近い言葉を話す人たちを使って敵を欺いた話が載っている。

紀元前5から4世紀には、アッティカ方言によりギリシア悲劇やプラトンの対話篇など優れた作品が書かれた。このため古代ギリシア語といえば、アッティカ方言を示すようになった。これを古典ギリシア語ということもある。ちなみに、アッティカとは、アテナイを中心とする地方である。今日、古代ギリシア語を学習する際はアッティカ方言を学習するのが普通である。


ヘレニズム時代から東ローマ帝国時代
古代ギリシア世界が衰退した後、マケドニアによる征服により、共通ギリシア語コイネーが成立。ヘレニズム時代は東地中海の共通言語として用いられた。

続くローマ帝国の時代になると帝国東方ではギリシア語が準公用語(東方地域では皇帝の勅令などもラテン語とギリシア語で出された)となり、文化用語として用いられたが、この時には再び文章語では古典アッティカ方言が復活して、口語のコイネーは俗語として軽んじられた。

4世紀以降にローマ帝国の東方を継承した東ローマ帝国では、7世紀以降ラテン語に代わって古典アッティカ方言が文書の公用語として用いられるようになった。また口語としてのコイネーも発展を遂げ、ラテン語・イタリア語・フランス語・アラビア語・トルコ語・スラヴ語などから借用された語彙も用いられるようになった。また、それまで大文字しかなかったギリシア文字について、小文字・気息記号・アクセント記号が一般に普及した(これらは韻律明示のためヘレニズムの文法学者の創造に係るもの)り、単語の区切りにスペースが入れられるようになった(それ以前は連続して書かれていた)のも東ローマ帝国時代である。この中世の東ローマ帝国で口語として使われていたギリシア語が現代ギリシア語に継承されている。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』

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2007年10月25日 21:08に投稿されたエントリーのページです。

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