第二次世界大戦が終わり、東欧を影響圏に置いた共産主義のソビエト連邦との冷戦が激しさを増す中で、イギリスやフランスが主体となり、1949年4月4日締結の北大西洋条約により誕生した。結成当初は、ソビエト連邦を中心とする共産圏(東側諸国)に対抗するための西側陣営の多国間軍事同盟であり、「アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む (Keep the Americans in, the Russians out, and the Germans down) 」という初代事務総長イスメイの言葉が象徴するように、ヨーロッパ諸国を長年にわたって悩ませたドイツ問題に対するひとつの回答でもあった。加盟国は域内いずれかの国が攻撃された場合、共同で応戦・参戦する義務を負っている。
当初はアメリカなどの一部でドイツの徹底した脱工業化・非ナチ化が構想されていた(モーゲンソー・プランも参照)。また連合軍占領下ではドイツは武装解除され、小規模な国境警備隊や機雷掃海部隊以外の国軍を持つことは許されず、米ソ英仏の四カ国が治安に責任を持っていた。しかし冷戦の開始ととも西ドイツ経済の復興が求められ、主権回復後の1950年には西ドイツの再軍備検討も解禁された。西ドイツは新たな「ドイツ連邦軍」の創設とNATOへの加盟の準備を始めたが、フランスなどはドイツ再軍備とNATO加盟に反対し、欧州防衛共同体構想で対抗した。この構想は1952年に西ドイツを含む西欧各国間で調印されたがド・ゴール主義者たちの反対によりフランス議会で否決され、批准に至らなかった。この結果、フランスもドイツ再軍備を認め、ドイツ連邦軍が1955年11月12日に誕生し、西ドイツはNATOに加盟した。
冷戦中
冷戦を通じて、NATOの枠組みによって西欧諸国は米国の強い影響下に置かれることとなったが、それは西欧諸国の望んだことでもあった。植民地経済の喪失により、一国ずつの力が弱くなった西欧諸国は、米国の強大な軍事力と核の抑止力の庇護の下、安定した経済成長を遂げる道を選んだわけである。東側との直接戦争に向け、米国によって核兵器搭載可能の中距離弾道ミサイルが西欧諸国に配備され、米国製兵器が各国に供給された(ニュークリア・シェアリング)。途中、アメリカやイギリスと外交歩調がずれ、独自戦略の路線に移ったフランスは軍事機構から離脱、そのため本部がパリからベルギーのブリュッセルに移転した。一方、戦闘機などの航空兵器分野では、開発費増大も伴って、欧州各国が共同で開発することが増えたが、これもNATO同盟の枠組みが役立ったことは言うまでもない。航空製造企業エアバス誕生も、NATOの枠組みで西欧の一員となった西ドイツとフランスの蜜月関係が生んだものと言える。
西欧は米国の庇護を利用する事によって、東欧の軍事的な脅威から国を守ることに成功し、「冷戦」の名の通り、欧州を舞台とした三度目の大戦は阻止された。つまり、NATOは冷戦期間中を通じ、実戦を経験することはなかった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
NATOといわれる機関です。設立の経緯について調べてみました。
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